『背徳』
                神の意に背き、罪を犯す事。禁断。

『禁断』
               犯してはならないこと、その領域。

『罪』
               道徳に背く行い。無慈悲な言行。

『罰』
              犯した罪を償う為に受けるモノ。




                            人には誰しも開けてはならないパンドラの箱を抱えている。







    人はいつ、どんな時。
    その箱を開けるのか。
    罪を    犯すのか。








― カナリア ―








「侑士?」
俺は岳人に呼ばれて読んでいた本を閉じた。
もっとも、その本はほんと呼ぶにはあまりにも厚いものだったけれど。
「あぁ、何や?」
「何、また広辞苑読んでたのか?」
呆れた様子で岳人は尋ねる。
「えぇやん。これは俺の愛読書なんや。」
「読んでて楽しいのかよ。」
「勉強になるんや、色々とな。」
広辞苑を読み始めて、知った言葉が沢山出来た。
言葉には一つ一つ意味があって。
その深い意味を吸収してゆくのがなんとも言わず快感だった。




カタリと席を立つ。
「どこ行くんだ?」
「ちょっとな。部活までには戻るわ。」
そう言って、歩を進めた。
その足取りは意外にもゆっくりで。恐ろしいほど頭が冴えていて。
自分の内が氷のように冷たかった。
これから
自分が何をするか




分かっているからだ。




















綺麗な歌声が聞こえる。澄んでいて、透っていて。
高いのに、不快ではない。
ゆっくりと液体のように身体の中に流れ込んでくる。
音楽室のドアを開けると、その声がぴたりと止んだ。
「なんだ、侑士か。」
そう言って、彼女はやんわりと笑う。彼女は。声楽部の期待を背負う優等生。
彼女の口から奏でられる音は神から授けられたの如く美しい。
その歌姫の事はこのマンモス校の中でも有名だった。









よく笑っていられる。これから起こる事も知らずに。
「相変わらず、綺麗な声やな。」
「ほんとう?ありがとう。」
嬉しそうに、は笑った。
けれど
その笑顔が一瞬で消し去るのはすぐ後の事。




ピシャンッ!!!
ドアを閉める音が嫌に響いた。
「・・・・・・?・・・・・・・」
流石音楽家なだけあって、感性は敏感。すぐに不穏な空気に気がついた。
一歩。
歩を進める。
「・…・・・・・・・・・・・・侑士・・・?・・・・・・・・・・・・」
無意識に身体が後退する。その腕を俺は掴んだ。
「あのな、俺の事が好きやねん。」
怜悧な瞳でを見つめた。

掴んだ腕を上に上げて壁に押しつけた。手の平を合わせる。
身体を壁に縛り付けられた形になる。
その表情に浮かぶのは多くの不安と少しばかりの恐怖。
「だから、どうしても欲しくなってしまったんや。」
氷の刃を心に抱き、俺は嗤う。
例えそれがを傷つける事になっても、構わない。
人は
罪深い生き物だから。
















さァ、俺のために歌って。
その声で、歌を奏でて。
恐怖と絶望と絶叫の叫びで。


俺を満たして。



































― 第二幕 ―









身体が重い。頭が割れそう。
原因は分かってる。
昨日のことを思い出して私は身震いした。
思い出したくもないような出来事。
身体の節々が時折軋んで叫びをあげる。
刻印の印を身体に刻み込んだあの人は

平気な顔で私を汚した。
制止の声も聞かずに、助けを求める声は防音の壁によって届く事はなく。
そんな声さえも、楽しんでいるようだった。



全ての事が終わった後は、何も残っていなくて。






虚空。








空っぽの身体だけがここにある。




























本当は音楽室へ行って歌の練習をするべきだけど、とてもじゃないけどそんな状態じゃない。
今日はコンクールの校内予選。
これに受かれば一ヶ月後に迫るソロを勝ち取る事が気出る。
いつもの状態ならば余裕な事、でも今日はコンディションがひっじょうに悪い。
いけるかな…?
気持ちも弱くなってローテンション。全く、私らしくない。
屋上の扉を開けると秋色の風が吹いた。にわかに涼しくて、それでいて色々な匂いが入り混じる。
私は音楽室の次にこの場所が好きだった。晴れわたる青空の日にここに一人で立って青い空に向かって声を飛ばすのはとても気持ちが良い。
今日も良く張れた空。でも気持ちは曇り。
こんなアンバランスな天気の中では歌う気がしない。

それに、そこには先客がいた。
何も敷かずにすぅすぅと、微動だにせずにふわふわの毛を持つ犬みたいな人が眠っている。
誰、あれ・…
なんだか分からない人に会って私は戸惑う。違う学年だろうか。
でも、見覚えがある気がする。
私が硬直して突っ立っていると、その毛玉がむくりと動いた。
動いたからビクリとする。昨日の事があってか、私は男の人に対して以上に敏感になっていた。
その人はゴロリと腹ばい転がるとゆっくり瞳を開ける。
ビー玉みたいなチョコレート色の瞳だった。
「………………」
しばらく虚ろに私のことを見ていたけど、私が2、3回瞬きしたあとに彼はちょいちょいと手招きをした。
な、何・…?
びくついて動けずにいると、その人はまた、じ…と私を見て、ようやく口を開いた。
「平気。何もしないから。」
まるで私の心情を見透かしたように言って、彼はまたおいでおいでをする。
本当ならこんな訳分からない人は恐いはずなのに、私の足はそろそろと前進する。
今思えば、私は癒しを求めていたのかもしれない。
彼の中に眠る癒しの空気を感じ取ったのかもしれない。






歩幅一歩分を開けた所で私は止まった。
「ぁ…・の・…何か用?」
「ううん。別にないんだけど。」
ガクッ。なんだこの人。
「でも膝枕に適してそうだったから。」
「は?」
言うや否や、彼は私の腕を引いた。瞬間、昨日の事がよみがえる。



   静かな音楽室。                             夕暮れ時で真っ赤に部屋は染まる。

        不適に笑う唇。

                              乱れる黒い不ぞろいの髪。


    はだけたシャツから覗く引き締まった身体。


       そして





氷のような、瞳。










「………………っっっ!!!!!」
私は思いっきり身体を引いた。彼の手はすぐに離れて、私はそのまましりもちを付いてしまった。
はぁはぁと息が荒くなる。脈が上がる。

い……いやだ……

「…………・・残念。」
目の前の彼は本当に残念そうにため息交じりの吐息を吐いた。
「なんなのよ、突然!!!」
「そんなに怒る事ないのに…」
ふわぁ、と、あくび。
怒る事ないって…私は今普通の状態じゃぁないんだってば。
しかも初対面の人にそんな事すか?普通。つーか何もしないの台詞はどこ言っちゃったわけ!?
「今、初対面の人って思ったでしょ。」
言われて、息を呑んだ。何故、見透かされた?
「素直な人なんだね。顔に良く出るし。」
か・・…顔…?そうかな…、汗。
「うん、そう。」
「………………」
私は何も話していないのに目の前にいる彼は答える。だから、聞いてみたくなった。
「あなた、名前は?」
「芥川ジロー。ちなみに君と同学年。」












++++++++

名前を聞いて、気がついた。
うちの学校はマンモス校でクラスが八つもある。だからいちいち学年全員の人の名前と顔は覚えていない。それでも私は芥川君の事を知っていた。
芥川次郎。侑士と同じ氷帝テニス部レギュラー。
「テニス部の…・・。」
「うん、そう。」
こっくり。と、彼は頷く。
テニス部。この言葉は今聞いても嫌な感じだ。なんだかざわざわする。
「ねぇねぇ。」
私の心情を知ってか知らずか、芥川君は私のスカートの裾を引っ張った。
「何、芥川君?」
「ジローで良いよ。」
「じゃ、ジロー君。」
言ったら、やんわり笑顔。ふわりとこんぺいとうが香るような、そんな笑顔。
あ……良いなぁ。



「そろそろ枕が欲しいって思ってたんだけど?」
目は「ね、お願い。」と、どこか犬の雰囲気そのもので、私は苦笑した。
「良いよ。」
「やた。」
ゴロリと膝の上に頭を乗せると、すぐに気持ち良さげに寝息を立て始める。
・・…………………はやいな、寝るの。
とか思いつつ、初対面の人に膝枕してあげる自分に呆れた。
ふわふわの髪は触ってみても柔らかい。
「あ、そうだ…・・。」
「ん?」
「枕になってもらったおかえしに、話聞く。」
「はな…・し?」
「なんかさ、悩み多き。てなかんじだったから。」


少し考える。でも、私は心の中で首を振った。
言ったら、楽になるかもしれない。ジロー君になら言っても良いと思った。
でも
自分が汚れてる女だと知られたくない気持ちの方が大きかった。


「ありがとう、でも気持ちだけで十分。」
「えー…・」
「それに、もう眠いんじゃない?」
「うん、まぁそうなんだけど。やっぱり俺の目に狂い…な…………ぃ……・。」
最後まで言い終わらずに、夢の中。
私はクスリとわらって指を髪に絡ませた。


秋空の下で、そのなんとも言えない空間が、私を慰めてくれた。
















ジロー君と別れて、私は講堂へと向かう。
なんだか気持ちが少し晴れた感じだ。
いけるかもしれない。
そんな事を思っていた矢先に屋上に時計を置き忘れてきた事に気がついた。
「いけない。」
その時、戻らなければ良かったと私は後で後悔することになる。
戻らなければ、きっとあんな事にはならなかった。
そう、きっと。


























― 第三幕 ―










私は屋上へ続く階段へ足を踏み掛けて、止まった。
・……声が聞こえる。
「音」は私のすぐ身近にあるもので。音はいつも私の近くにいた。
そして、私に伝える。遠く離れていても。





私の耳に届くのは二つの「声」
一つはジロー君。もう一つは………・・





侑士、だ。












あんな仕打ちを受けて裏切られた後に言うのは変だけど、侑士の声は綺麗だ。
静かで、優しくて、そして心地良い。
水のよう。まるで優しく吹く風のよう。
そんな声を聞くのが、私は好きだった。
でも、まさか。
あんな事が起こるなんて誰も想像出来ないじゃない。
私は耳をそばだてる。耳に集中して。会話を聞く。


「随分仲がよさそうやったなァ、ジロー?」
「・・……羨ましいの?侑士。」
「別に。」
「…………………俺は・………・・人の恋愛には興味ないし。侑士の彼女取ろうって訳じゃないけど。」
ジロー君はそこで言葉を切る。
侑士も何も答えない。
「彼女、とてもつらそうだった。見れば分かる。」
「せやから?」
「良いの?………・このままだと……………・・壊れるよ?…・」





その言葉を聞いて、侑士はしばし止まった。
痛い空気を含んだような沈黙が流れる。
次に私の耳に届いたのは、嘲笑が含まれた、声。














「えぇよ?そしたら綺麗なお人形のまま側においたるわ。」















私は、その言葉を聞いて愕然とした。
膝が震えた。
まるで、侑士に触れられた身体が怯えるのと同じぐらい。
奥歯がカタカタと鳴る。














………・ぁあ、私はもう逃げられない。















あの人は、手放すつもりはないのだと。
逃げる術はないのだと。
私に未来は、無いの、だと。
思って絶望した。















?」
びくっ、と、身体が震えた。顔を上げるとそこには同じ声楽部の友人がいて。
名前は、なんだっけ?思い出せない。
凄く親しい人なのに、思い出せない。

「どうしたの?もう始まるよ。」
始まる?何が?






「……………・ウン、分かった。」

少しずつ、私の内なるモノが崩れてゆく「音」を私は自分の足音と共に消し去った。




















+++++++++


舞台裏の裾で、私はただ立っていた。ざわざわと周りでは仲間達が自分の緊張をほぐすために話したり、ぶつぶつ歌詞を呟いていたりする。
私はというと。
何故だろう、私の一つ前のグループが歌っているはずの歌が

聞こえなくなっていた。

聞こえないのではない、とどかない。
聞いているはずなのに、私の世界に音はない。
、大丈夫?」
先ほどの友人が私を心配して声をかける。
「う…・・ん…・平気。」
「そう?ならいいんだけど。」











「ねェ。」
「ん?」
「今日は何を謳うんだっけ?」












「何いってんの?賛美歌に決まってるじゃん。」












言われた瞬間、私の中でピシリとどこかがひび割れた音が、聞こえた。


さん・・……び……・・か……・・?














「もう、しっかりしてよ。今年もうちのグループを勝利に導いてよねっ!!」

行こう。
そう、彼女は言って、私の手を引く。



待って、待って、待って。























わぁっ!!と、歓声。
それは、私に向けられたものだ。



でも







私は舞台の上に立った瞬間総毛だった。
身体中の汗腺から汗がふきだす。
冷たい汗。
それが私の頬を伝う。







やめて……・私は………みんなに歓声されるような人間じゃない。










期待を持った目。その沢山の目が今、私を見ている。












沢山の目。その中に、いた。
私は見つけてしまった。



唯一私が汚れてる事を知っている人。















黒い漆黒の瞳がじっと私を見ていた。
















「………・っっっ………!!!!!」




駄目だ……駄目だ……・・






こんな身体では、こんな汚れた魂では










神に捧げる歌は謳えない。
私には、歌う資格なんて         ない。












?」
友人が私に駆け寄った。異変を感じて。
でも私の耳には何も届いていない。何もない。ただそこには……













ぐしゃり。


私の中で何かが崩壊する音がした。











頬には一筋の涙が伝う。

血の涙が、流れる。












「……・・駄……・・目……・私は、歌えない。」












ざわっ。と、会場がざわめいた。
うるさい、ざわざわする。私をいらつかせる。
その中には、第二候補の子達の歓声も聞こえる。
あぁ、欲しいならくれてやる。いくらでも。
名声も、音楽も、いらない。




みんなみんな               だいっ嫌いだ。


























聞こえないはずの私の耳に「最後」の音楽が奏でられた。






それは














崩壊の「鎮魂歌」





またの名を                
















                  レクイエム






























― 最終幕 ―






俺は最初から最後まで見ていた。
が舞台の上に立って、見る見るうちに顔が青ざめて行く。
そうして

俺と目が合った。






直後だ。
が歌うことを拒否したのは。



ただ舞台の上にたたずむをこれ以上見るのが嫌で、俺は講堂を後にした。
ゆっくりと、目を閉じる。
誰が見ても俺のせいやってことは明らかで。
今更ながら胸が痛んだ。















「だから言ったじゃん。」















声のした方に顔を向けるとそこにはジローが立っていて。
まっすぐな茶色の瞳が俺の事をただ見ていた。
責めもせずに、同情もせずに、ただ見ているだけ。









「どうするの?侑士。」
「せやな。」



言っても、本当は自分が何をしたいのか分かっている。
俺はジローの横をすりぬけざまに肩を叩いた。


「あいつが泣きついてきたら慰めてやってな。」
「俺が?」
「お前癒し系やん。」









俺は自分の中の決断を胸に歩き出す。
だから俺は知らない。その後ジローが呟いた一言を。


















「………………………無理にきまってんじゃん。俺じゃ、相手にならないよ。」




























+++++++++++





音楽室にいなかったのは意外だった。でも、もしかしたら今は音楽の類にはふれたくないのかもしれないと思った。
ただなんとなく屋上に行ったら。

がいた。

はフェンスの前に立って、ただ前を見つめている様だった。
背を向けている背中はどこか
儚げだった。




「自殺行為はあかんで。」



声をかけても、反応はしない。ビクリとも震えない。
存在に気付いているのかいないのか。
もしかしたら、そんな事はもうどうでも良いのかもしれない。
そんなの状態を見て、あぁやっぱりもう限界やな。と、思った。

























「………………………………………・解放したるわ。」




















言うのを躊躇った。でも、言うしか術はない。
それが唯一を救う方法なのだから。
自分が出来るたった最後の事だから。
ゆっくりとは振り返る。その表情はどこかやつれていて。
あの輝かしい光はどこにもない。
絶望と悲しみ。
その言葉が気体となっての周りをただよっていた。
そんな姿を、俺はもう見たくないと思ったから。



だから











を捨てる。










自分で壊しておいて、こんな事を言うのは                エゴだ。



分かっていてもう一度笑って欲しいと願うのは             傲慢だ。










シタ…
雨が一粒空から落ちた。
その量は増えてゆく。身体を、髪を、心を濡らす。






「もう中に入り。風邪ひくで。」
それでもは動かない。光のない瞳で俺を見る。
でもやがてそこかあきらめた様に視線を外して歩を進めた。


パシャッ……


溜まりかけた水を踏んで水が少し跳ねた。











「一つ聞いてもえぇか。」
進みかけた足が止まる。肩越しには振り返る。
紙も、頬も濡れて毛先から雨が滴れる。

「なんで抵抗しなかったん?」

確かに、抵抗する暇は与えなかった。けれど、
驚きつつもは俺を受け入れた。
乱暴な行いにも最後は奥歯をかみしめて耐えた。
それはただ諦めたからだと思っていたがそれもどうも違う気がしていた。
違う気がしていても震える身体と、拒絶の瞳は否定できなかったから
やはり「奪った」のだと解釈した。
だから最後に聞きたい。本当の事実は、なんなのか。
聞くことは恐い。うぬぼれてるとせせら笑われるかもしれないから。
それでも、聞かなければいけない気がした。

「…………………」



唇が開かれる。でもその声は雨に消されて俺には届かない。


「…?今なんて…。」


聞きかけて言葉を遮るようにして、は叫んだ。
音が雨をかけ抜けて、空気を切り裂く。














「………………・好きだからだよ、侑士の事っっっっ!!!!!!!」













時間が止まった気がした。呼吸が止まった気がした。
全てが止まった。
その言葉は、ずっと欲しいものだったけど、まさか今くれるとは思わなかった。
「ずっと好きだったよ!!だから侑士が私の事を好きだって聞いて嬉しかった!!!」
…・」
「来ないでっっ!!!」
思わず進めた歩をは制止させる。
身体がビクリと硬直して足が止まる。を凝視する。




「好きだけど…・・・今でも侑士の事が好きだけど

 でも、駄目なの。身体が、心が、恐くてたまらないって叫ぶの!!!!」





絶叫にも似た声。その声が鼓膜を突き破る。














「………は…………・なるほどな。」












鳥は、すぐ近くにいた。
手を伸ばせば焦らずとも。



それなのに




「神様は随分と非情な事を課せられるんやな。」



俺は、大馬鹿や。
頬に雨が流れた。



己の愚かな行為に、嫌気がさした。







これは、贖罪や。


愚かな俺に与えられた





罰。







雨が降り続ける。
その音はどんどん大きくなる。
そんな中で、は呟く。



「…私はわかってた。こんなのは違うって。それでも……その手を振り解けなかった。


               汚れる事を、望んでいたのかもしれない。」
穏やかな声が心に響く。
「そんな私じゃ……賛美歌は歌えないよ。」
は言葉を切ると顔を上げる。そして、俺を凝視した。
パシャリと水が跳ねる。ゆっくりとその足取りは俺のほうへと向けられていた。


す・……と腕は上げられて、俺の濡れた毛っ先に触れると怯えたように手を遠ざけた。
でもすぐにまた伸ばされて、頬に触れる。
その手は、震えている。その震えが、伝わってくる。










「…………・泣かないで…………。」








かすかな声は俺に向けられた。以前美しい歌を奏でていた声は俺に向けられる。
でも、駄目だ。
俺には触れられる権利なんてない。
このままでは、は壊れる。
愛しい人が、壊れてしまう。





「あかん。触んなや。」



泣いてへんし。と、言って俺は手を振り払った。
は、じ…と何も言わずに俺の事を見る。





見んといて。見られると、切なくなるから。
もう二度と、お前には触れへん。
もう二度と、お前には声かけん。
その名前だって、忘れよう。





それがの為になるなら。




だからお願い。











もう一度笑って。







もう一度あの歌を聴かせて。


















「…………・・・……ひどいよ、今更に私を捨てるの。」







「…………そーや。壊れたおもちゃはもういらへん。」
















「……………っ…・・ふ……・」



雨の中、頬に涙が流れる。でも、もしかしたら雨かもしれない。
そうであって欲しい。
俺の為に泣かないで欲しい。



これがお前のためなんや。









「……うそ……だよ。綺麗なお人形のまま側に置いてくれるんでしょう?」



目を、見開いた。
どうして、が知っている?





「…・・な……んで…。」
「………………ごめん。聞いてた。」





何も、言えなかった。
これ以上かける言葉が見つからなかった。





震える指先はまた伸ばされる。
恐いのか、震えながらも俺の頬を包む。
その手は温かく、とても優しい。



「俺がいるとお前は幸せになれへんのや。」
「聞こえなかったの?私は侑士が好きなの。
 私を幸せに出来るのは、侑士。あなただけ。」



優しく、澄んだ声が俺を包む。
本当なら、こんな言葉をかけられる人間じゃない。
そんな権利もない。
喜んではいけない身。
それでも、は俺が良いという。



俺だけが、こんなに満たされて良いのだろうか。










「………・えぇの?俺はを傷つけた。だって震えてる。
 それでも…………………・えぇの?」


頬に当てられてる手に触れた。閉じてた瞳をすぅと開ける。
言ってしまった。手放すと決めていたのに。


は一瞬呆けたが、すぐに                微笑んだ。








頬を包んで、は俺の瞼に唇を寄せた。
「冷たい・・・・・…まるで何時間も雨の中にいたみたい。」
冷えた心が暖められてゆく。凍った心が溶けてゆく。






カナリアは、傷ついた羽を震わせて俺の元へ戻ってきた。
































音楽が鳴り響く。
五月蝿いぐらいに鳴って、を誘う。
連れてかんといてくれ。
頼んでも、きっと無理だろう。


音の世界に魅了されたカナリアが、どうしても欲しかった。
だから“狂気々という言葉に魅せられた。
羽を手折って、声を潰した。




歯車は軋み、止まる。




けれど





いつまでも止まっているわけじゃない。
壊すものがあるのと同様に癒すものがあるように。
小さく音を立てて、カタリと動き出す。








赤と白は決して交わらないもの。
狂気と正気。熱情と純粋。
遠く離れている存在。
それでも、パレットの上で混ざり合えば。
白は赤を染める。
二つの色は溶けこみ、一つになり、新たな“色”が作り出される。



その色は



優しさを表わす、桃色。





狂気と純粋が混ざり合って、優しさが生まれる。
これは、なんともいえない自然の法則。










過ちを犯した時間は戻らない。
犯した罪は消えない。


それでも
傷つけた分だけ、同じぐらい、もしくはそれ以上。
優しさと癒しを与えれば



きっと





また花は咲くだろう。
また鳥は歌うだろう。












さァ、華麗なる円舞会を始めよう。





























+++++++++++

なんだか切ない。なんだか暗いんですけど、汗。
しかもこんな長ったらしいの書いてしまって、しかも差し上げてしまう私を許して下さい。
ハッピーエンドだけどもゆきつくまでがなんだか長くって私は何度も挫折してしまいそうになったよ。
にしても、良い男は切ない話が似合ってほっとするなり。
それでは、改めまして。
HARUっち10万ヒットおめでとうございましたっ!!

return




music by Sora Aonami