跡部は変わった
とても綺麗になってしまった
― らぶじぇねれーしょん 過去の記憶 ―
口笛が聞こえる。
とても涼やかで、そして綺麗なメロディー
なんていう音楽だっただろうか。
ギィと重たい扉を開いたら、ビュゥと強い風が通りぬけた。
私は思わず顔をしかめる。
踊り狂う私の髪の毛の合間からなびく黒髪を見た。座って足をなげだしている背中がある。
口笛の根源はあいつだ。
「随分ご機嫌ねェ。」
たっぷりと嫌味の含んだ口調でゆっくりとその背中に近づいた。
口笛が止む。
肩越しに振り返った忍足は小さく笑った。
「これはこれはさん。」
忍足は酷く機嫌が良いようで。
それを隠せないような感じだった。
その時、聞かなければ良かったと思う。
押し寄せる不安の波に気付いていたのに。
「何か良い事あった?」
「ん?んー。まぁな。」
曖昧な返事とは裏腹に、その表情はとても幸せそうだ。
私は何故だかしゃくに障ってしまって。
ざわざわと私の中が波打ったのを感じた。
「は不機嫌やな。」
私の顔を見て、くすと忍足は笑った。
「今不機嫌になったのはお前のせいだ。」
「(苦笑)」
「ここは私の縄張りなんですけどね。」
「…………………………犬?」
「なんか言った?」
「イエ。」
短く切ると、立ち上がる。
そうしてぱんぱんとズボンの汚れを払った。
「ほな…。」
あっさり去ろうとする忍足の前にずいと手の平を私は差し出した。
私の目は険しい。
「?」
「場所代。」
むすりとして私が言ったら、忍足は一瞬間を置いてくしゃりと苦笑した後
ポンと私の手の平にいちごキャンディーを乗せた。
++++++
++++++
もうレギュラー達が私の前で着替えても驚かない。
最初はなんておいしいと思っていたけれど、慣れってこわい。
私はもくもくと机に向かって記録を書いていた。
「。」
のそりとへびの如く私の肩膝に腕を乗せ、次にはぺたぁと身体をくっつけてきた感触に思わず声をあげそうになる。
変わりに目を大きく見開いた。
驚きはしたが、声は上げない。
最初はこの子のペースに振りまわされもしたが(今も振りまわされているけれど)今は幾分か平気になった。
私はためいきをつきながら軽く目を細める。
「………………ジローちゃん。」
「ん?」
いや、「ん?」じゃないでしょう。机の下からって所が不自然ですよ?
可愛く眠たげな瞳をしばたたかせてジローちゃんは言う。
「ねぇ、知ってる?」
「何を?」
視線をノートに戻した私はまたカリカリと書きとめる。
薄茶色の瞳が揺れた。
「侑士と跡部付き合ってるんだってー。」
一瞬
頭が真白になった。
背後で全員が凍りつく気配がして。
そりゃそうだろう、私が跡部のことが好きなことなんて公認だったし。
性格上黙っていた無いと思っていたのだ。
そうして、ガラガラと私の中が壊れてゆく音がきこえた。
そうして
思い出したのはあの忍足の顔。
とても幸せそうに微笑んで
ああ、こういう事だったの。
そんな事を思った。
私はいやに冷静だったのを覚えている。
「ジロー!」
鋭く厳しい跡部の声が響いて、ジローちゃんは机の下から引っ張り出された。
けれど、その彼の声が続かない。
きっと事実なのだろう。
背後で忍足が着替えの途中でこちらを見ている気配がする。
全てを見とおすような
射るような
けれど
とても不安定な瞳
「(……………あぁ)」
私は瞳をつぶった。
大丈夫よ。
心の中でそう呟いて。
「……………………へぇ、そうなんだ。」
それだけ言うと、目をあけてまたノートの文字に目を走らせる。
「それだけー?」
どこか不満そうに、ジローちゃんはぴょこんと首を机に乗せた。
両手を机の端にかけて、上目使いの瞳が私を見つめる。
私は、はぁと溜息をついて視線をジローちゃんに戻す。
「他に何を言えと?」
「だってー、は…。」
さすがのジローちゃんもその先は続かなかったようで。
ビー玉の瞳が伺うように悲しげに揺れる。
だから私は精一杯微笑を象って笑ったんだった。
「ジローちゃんは早く着替えなきゃね。」
この子を可愛いと思う。
罪はないのだ。
ただ純粋なだけ。
私はゆっくりと立ち上がってかきあげた書類を整える。
「…。」
「書類出してくるよ。」
にっこりと笑って扉に向かった。
++++++
++++++
++++++
はたと思い出して、胸が熱くなった。
そうして、目を開ける。
目の前に広がるのはどこまでも続く雲一つない空。
足も腕も投げ出して大の字になって寝転がる。
私のお気に入りの縄張り。
こみ上げてくる感情が。
私の頬を伝った。
無意識に流れたこの言い知れない感情の粒を
私は手の平で触って触れる。
私の手の平が濡れているのを確認して初めて、泣いているのだと知れた。
あの時泣けなかった想い出が溢れたように。
跡部は綺麗になった
綺麗になってしまった
私ではなく忍足の隣で
それでも私は恋をしている。
―――――――――
苦しい恋だけど。
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