私は、自分が知らないというたった一つのことを知っている
ソクラテス
― 真実を教えて ―
きっと跡部は凄く怒っていると思う。
そりゃ、「待ってて」言うて、すっぽかしたのは自分やけど。
それでも跡部を思う気持ちは変わりなかったし。
それでも跡部への気持ちに揺るぎはなかった。
ガラ
誰もいない教室。
まるで血しぶきがあったみたいに真っ赤に染まる。
それは別に血でもなんでもなくて、夕焼けの光だったわけだが。
そこに、跡部はいた。
自分の机に分厚い本を乗せて。
綺麗な長い睫毛が半分瞳を覆って。
そうして、昔は羊皮紙、今は紙の上に綴られた文字を瞳が辿る。
「跡部。」
無視。いっこうに、無視。
あー、やっぱ怒ってるんやな。
「あーとーべー。」
「うるせぇ。」
単調な声。
こりゃいよいよヤバイわ。
いつもの棘のある言い方でもなく、うざったいような嫌そうな言い方でもなく。
ただただ短調で感情の含まれていない声。
それは一見穏やかそうに見えるかもしれないが、俺からして見ればまさに崖のぎりぎりラインで強風に耐えながら立ってるのと同じ事。
「なー、怒ってるん?」
精一杯の憐れな瞳を見せて、俺は跡部の目の前にしゃがんで両指を机にかけた。
そこでようやったお姫さんは顔をあげる。
その瞳は、恐ろしく険しくて冷たい。
「この俺様を待たせるなんぞ良い度胸だな?」
「せやから、ごめん。」
「大体何様だと思ってんだテメェ。これで何度目だ?」
「返す言葉もございません。」
「もう良い。疲れた。」
そこまで言って、ぱたんと厚い本を閉じる。
ヤバイ
捨てられる
「跡部っ。」
「今更だろ。先に匙を投げたのはどっちだ?」
「ちょぉ待ち。」
「待たねぇ。この俺を遊びに使うなんてなんて野郎だ。」
もう知らねぇ。そう、言い捨てた。
違うのに。
だけど、恐らくここで多分俺は引きとめられない。
だけど、なんとかして引きとめなければならない。
まだ
失いたくない。
「最初から、無理だったんだろ。男と男だなんて。」
「性別なんて関係あらへん。俺真剣やもん。」
「だったらなんで浮気なんかすんだよっっ!!!!」
一瞬
時が止まる。
なんの音がしない空間で、怒りに顔を歪める跡部と、呆然と目を見開く俺がいる。
俺はただただ怒りに燃える跡部の瞳を受けとめる。
張り上げられた、声。
静かな空間が破られる。
「侑士・・・俺はもうお前のことが分からない。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
なんだかあきらめたような瞳だった。
そんな色に変えてしまった自分が心底憎い。
影がかかる瞳に半分睫毛がかぶる。
そうして、跡部は顔を上げた。
なんの感情もうつさないその顔は、やっぱり綺麗だった。
「俺は、何も知らない。唯一知っているのは俺が何も知らないという事だけだ。」
「・・・・・・・・・・・ソクラテス・・・か?」
「流石だな。」
「何が知りたいん?」
「全てだ。」
「随分・・・欲張りやなぁ、跡部は(苦笑)」
「それぐらいの権利はある。」
確かに。
心も、身体も。
こぉんな綺麗で上等な人間を手に入れたんだから、それなりのリスクは仕方がないのかもしれない。
だから俺は微笑む。
跡部がそんな風に言ってくれるって事は、少し望みがあると考えもえぇんやろか?
「お前は何も言わねぇ。女と遊ぶのがそんなに楽しいか?」
「俺はそんな事してへんもん。」
「お前が言わなくとも周りは言ってんだ。」
「俺やのうて、周りの奴のことを信じるんか?」
言ったら、跡部の瞳が迷ったように揺らいだ。
それを見逃す事無く捕らえる。
「信じて。」
まっすぐに見つめたら、跡部の瞳が更に迷ったように揺らいだ。
けれど
「もう、信じられねぇ。」
駄目や。
ちょっと傷が深すぎる。
「今すぐ浮気の・・・俺の納得する理由を言ってみせろよ。」
試すような、瞳。
強くて、美しい。
きっと跡部は俺が女と寝たんやと信じとる。
でも、そんな間違ったことはしとらん。
絶対に。
「跡部は・・・きっと洞窟にいるんやなぁ。」
「あぁ?」
「洞窟で、壁画や洞窟の外にある物質の影で、判断しようとしとる。」
「なんの話だ。」
「ソクラテスの続きやで。影はその物質の形をあらわすから、それがどんなものかは分かるねん。せやけど詳しいもんは分からん。それでも洞窟に住んでる人達は、それが全てだと思いこんで満足しとる。」
「だから俺が洞窟の人間だと?」
「そう。でも、もし、自由になって洞窟の外に行けたら?そこにはきっと跡部の想像以上の綺麗な景色が待ってると思うで。そんで跡部はそれを見て感動するんや。」
「つまり・・・俺が見てるのは真実じゃないと?」
「そういうこと(にっこり)」
にんまりと微笑んだら、跡部はなんだか考えたような表情をした。
けれど、まだ納得はしていないようで顔は渋め。
「跡部は兎の毛の下の方でぬくぬくしとるんよ。だから真実が見えへんの。」
「俺は哲学者じゃねーよ。」
「せやけど、"全て"が知りたいってさっき言ったやん。」
「屁理屈だ。」
「そうかもしれへんね。でも俺はお前を繋ぎとめるのに必死なんよ、景吾。」
名前を呼んで、瞳をすぅと開けたら跡部の躯がびくりと震えた。
頬に、少しばかりの汗が垂れる。
「騙されねーぞ。」
「何が?何で?跡部のことこんなに好きいうてるのに浮気なんてするわけないやん。」
「・・・・・・・・・それは・・・・。」
「それよか俺は跡部の方が心配やで。」
「ああん?」
ゆっくりと、手の指先から平にかけて頬に這わせる。
跡部の瞳が軽く見張れて、俺を見つめる。
俺も真摯な瞳で跡部を見つめた。
胸の内でうずまく欲望。
押さえるのに必死だ。
「跡部綺麗やもん。」
「んなの今更だろうが。」
「ん。俺跡部が女抱くんは許せるけど・・・。」
言葉を切って、息を吸った。
跡部の瞳が少し驚いた色を宿して。
次に恐怖を宿した。
顔を近づけて距離を縮める。
それは甘いように誘うように囁く。
「男に抱かれるんは絶対許さへん。きっと相手の男をこの世のありとあらゆる苦しみを味わせて殺してまう。」
少し強張った跡部に、くすと微笑をして手を離した。
「せやから、な。俺は浮気はせぇへんねん。」
そう、噂は噂でしかない。
こんなにも跡部に溺れてる自分がどうして他のやつを抱ける?
「跡部と付き合ってから、跡部一人だけやで。」
微笑みと、瞳の色は、きっと違う事に跡部も気付いている。
だから、目を離さずに見つめている。
野生の動物は、自分より強いもんと会うた時目を離さへん。
食われてしまうから。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「信じて。な?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・洞窟の人間は。」
「へ?」
「自由になった人間は、洞窟に帰って他の住人に外の話をした。けど、信じてもらえず、結局異端児として殺された。ソクラテスも同じだ。ソクラテスも、たった一人の番審員が賛成にしたせいで処刑された。」
「・・・・・・・・・・。」
「俺も殺されるのか?」
「そりゃないわ。」
俺はにっこりと跡部に向かって微笑む。
「もしそんな事になったら俺が洞窟の人間全員殺してでも跡部を守るし、番審員が賛成にしようとしたら金で買いとって不賛成にしたるもん。」
「それでも駄目なら?」
「跡部の影武者になる(にっこり)」
そこまで言ったら、跡部はしばらく沈黙した後溜息を一息ついた。
「調子の良い奴。よくそんな言葉が出てくるな。」
「調子の良い奴でもえぇよ。跡部が傍にいてくれるなら。」
良かった。
跡部の気持ちがこっちに向いた。
約束の理由は、いつも言えない。
跡部へのアプローチしてくる人間をことごとく潰してるなんて誰が言える?
穏やかな瞳で、穏やかな顔で。
出来るなら怒らずに、穏便に跡部を手に入れたい。
綺麗な人。
頭の良い人。
だから、こそ。
慎重にならなければ。
これからも約束の"理由"は言えないかもしれへんけど
あなたが好きです
その真実だけは其処にある。
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哲学は大好きです。ふふふ。
ちょびっとシリアス系になっちゃった。甘くもないし。
この頃ドリ夢ばっかり書くのでカップリングが上手く書けない、くそぅ。
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